東山魁夷と日本の夏【山種美術館】年齢が書かれたキャプションは画家の存在が身近になる効果

東京都渋谷区にあります、
山種美術館。

こちらの美術館のキャプションは
各作品に制作した当時の作家の年齢が
書かれていて、
非常に親切だと思っています。

先日行きました「東山魁夷と日本の夏」展で
あらためてこのキャプションの良かった点を
書きました。

人生の出来事と作品を照らし合わせて見られる

東山魁夷は、1908年神奈川県横浜市に生まれ
1999年千葉県市川市でその生涯を閉じています。

中でも私の印象に残ったのは
20代・30代の出来事です。

中学時代から画家をこころざし、
東京美術学校(現・東京芸術大学)在学中
21歳で帝展に初出品の初入選。

25歳の時には、交換留学生としてドイツに留学するも
父親の危篤により、1年の期間を残し
日本へ帰国します。

その後、第二次世界大戦と前後するあたり
肉親を立て続けに亡くす不運が続きます。

32歳 日本画家・川崎小虎の娘すみと結婚
33歳 母が脳出血で倒れる
34歳 父が死去
37歳 召集令状が届き、熊本県にて訓練中に終戦。同年母が死去。
38歳 第1回日展に落選、同年結核療養中の弟が死去。

戦争、父の死、母の死、弟の死、
画業の行き詰まり。

そんな中でも義理の父となった
日本画家・川崎小虎からは、
画家として学ぶことも多く
心強く思ったこともあったでしょう。

この激動の時代がどう風景を極め
晩年の国民画家と呼ばれるまでに至るのか、
具体的なつながりは見いだせませんでしたが

辛い時期を乗り越えたことで、
静謐で美しい風景画に至ったことは
想像できます。

画業が上向きになるのは
1947年39歳の時。

第3回日展にて「残照」が特選をとり
日本政府買い上げとなり、世評が高まったことが
きっかけだったようです。

緑潤う(1976年)

上記の作品は、68歳の時に描かれた作品です。

このあたりの時期は、
フランスやドイツでの
個展が多く
開催されており、

国内のみならず、海外でも紹介され
画家としての地位や活動が成熟していた
時期だと思われます。

今回観た展覧会は、山種美術館所蔵の東山魁夷作品が
すべて展示されているとのことでしたので、
多くの作品とともに、画家の人生を知る内容でした。

年齢から理解を深める鑑賞ができる

私は画家ではありませんし、
東山魁夷さんと生きている時代も違う、
性別も違うし、人生に起こる出来事も違う。

ですが、「年齢」という共通事項を通して
自分とは違うことだらけの、この画家の人生を
身近に感じることができるのです。

私が同じ年の時には

何をしていただろう?
どんな出来事があっただろう?

と、考えながら観ることができました。

「年齢」を通した鑑賞術と呼んでも
いいかもしれません。

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