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2025年に入り早々に、
四国にある2つの公立美術館に
収蔵されている絵画作品が
贋作であるとの報道を目にしました。
贋作を作ることはもちろん
良いことではありませんが、
では単純に悪いことなのでしょうか。
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美術館で「偽物」が見つかる
高知県立美術館と徳島県立美術館で
所蔵されている絵画が、
「贋作(がんさく)」つまり偽物であり
真作ではないと判定されたという
ニュースを読みました。
いくつものニュース記事がWEB上にありますが
私はNHKの下記の記事が印象的で、
いろいろと思うところが出てきたので
ブログに書いてみようと思います。
NHK WEB特集 ある贋作師の告白 芸術に私たちが求めるもの
偽物と分かったのに展示を続ける? 美術館の決断
今回の贋作は、ドイツ人の贋作師で画家でもある
ウォルフガング・ベルトラッキ氏が手がけたもの。
本人が本物の絵画の作家の名をかたって制作した、
「意図的なコピー作品」です。
そして、同様の問題は高知県立美術館でも発覚。
それぞれ元の作家と作品名を書いておきましょう。
徳島県立美術館
作家名:ジャン・メッツァンジェ
作品名:「自転車乗り」(制作年は調べきれず不明)
高知県立美術館
作家名:ハインリヒ・カンペンドンク
作品名:「少女と白鳥」(1919年)
この出来事は、美術館に展示してある作品が
必ずしも本物ではない、
という一つの真実を教えてくれます。
興味深いのは、徳島県立美術館がこの作品を
贋作と認めたうえで、県民への説明も含めて
当面は展示を続けると発表した点です。
これに対し、賛否両論あるのは当然ですが、
私はこの判断を「正しい選択」だと
思っています。
なぜ贋作でも展示すべきなのか?
なぜならば、この贋作を描いたドイツ人画家は、
決して「いい加減な偽造」をした
わけではないと私は思うからです。
記事からは彼がオリジナルの作品や
画家について深く研究する様子が
分かります。
使用された技法や色彩、筆致から
絵の具も当時使われた年代に近いものを
蚤の市で探したり、
画家の出身地へ行ったりと徹底的に
再現しようと試みました。
つまり、偽造ではありますが
そこには作品と作家に対する興味や好奇心、
探究心も含めたリスペクトと
技術が込められいるのです。
こうした贋作は、
単なる「贋作(がんさく)」とは異なる
もう一つの美術の歴史と価値が宿っていると
考えてもいいと思うのです。
贋作を逆手に取る!展示の新しい提案
では、美術館がこうした作品をどう扱えばよいのか?
いくつかの提案があります。
「贋作の技術と歴史展」などの企画展を実施する
→ 贋作を隠すのではなく、あえて「技術としての模倣」
「美術におけるコピー文化」に焦点を当てて展示。
真作と贋作を並べて比較展示する
→ どこが似ていて、どこが違うのかを学べる体験型展示にする。
「オリジナルとは何か?」を問う展示テーマにする
→ アートにおける「本物」の概念を問い直すな機会にする。
このように、贋作をネガティブに扱うだけではなく、
「表に出す」「教育面で活かす」ことも
美術館の役割としてあってもいいと思います。
少し仰々しいことを書いてみましたが、
これは、先述の3つのような企画を見てみたいという
私の純粋な願望でもあります。
オリジナルとコピー、その間にある「価値」
最後に、私が考えたいのは
「そもそも100%オリジナル、
というものが存在するのか?」
という問いです。
現代美術では、コピーや模倣、
サンプリングを積極的に活用する表現も
多く存在します。
一人の作家が作品を作る時、
自身のルーツや人生の経験とともに
私淑する歴史上の人物、画家、
絵画の指導を受けた方々など
自覚が有る無しにかかわらず、
影響を受けて作品に反映されることが
想像できます。
過去の作品や作家への
リスペクトやオマージュという名で
自身の作品に技法やエッセンスだけでなく、
時には模写に近い状態まで
反映することもあるでしょう。
また贋作であっても
それが時代や作家の意図を反映していれば、
それは一つの作品として評価される
可能性もあるのです。
今回のケースでは贋作を作ることで
多くの人にメッツァンジェや
カンペンドンクを知ってもらい、
鑑賞機会を多く提供することに
「貢献」したかもしれません。
それをもってしても、世界的に有名な贋作師
ベルトラッキ氏の一番の落ち度は
自分の名前で作品を発表しなかったこと
だと私は思うのです。
ここまで綿密に研究を重ねて「贋作」を作るなら
なぜ画家として、自分名前を堂々と冠した作品に
仕上げなかったのか。
一鑑賞者として、残念な点だと思っています。
最後にNHKの記事より、私の中で深く印象に残った
ハイデルベルク大学のヘンリ・キーゾル教授の
発言を抜粋し、まとめとします。
「人が絵を観賞するとき、絵そのものよりも、絵にまつわる物語などに価値を求め
て、より魅力的に思うことがある。芸術鑑賞を通して本当は何を求めているのかを自
問することが大切だ」
(記事より抜粋)