JR茅ヶ崎駅から広がる商店街の中にそのお店はある。
「茅ヶ崎珈琲倶楽部」。
帰り際にコーヒーを飲みたいと検索して、出てきたお店の一つだ。
何に惹かれてこのお店に決めたのかは記憶がうつろだが、店名がすべて漢字であることにインパクトがあった。
駅から歩くこと5分程度。迷わずに到着。
温度がある割に湿度は低いという梅雨前の気持ちよい気候の折、店の入口は開け放たれていた。
入り口に来ると、距離を置いて向かい合う位置に男性が立っている。
直立不動だ。
白髪交じりの短髪で、濃い色のスラックスに白いシャツ、ベストを着ている。
シンプルで清潔感あふれる出で立ちだ。
端正な顔立ちのせいか、笑顔がないと人を緊張させる雰囲気がある。
「いらっしゃいませ」
低音がよく響く声。
人混みで話をしていてもよく通りそうな声である。
席に案内されてほどなく、お冷とおしぼりを持ってきた時に初めて笑顔をみせた。
思いのほか人懐こい笑顔だ。
「お決まりになりましたらお呼びください」
フロアに出ているがこの店の主人だろうか。
カウンター越しにコーヒーを入れているのは別の若い、男性だ。
注文を取り終えるとまた同じ位置に戻り、入り口を向いて姿勢を正し、立っている。
私の席は店の奥まった角の席。
全体を見渡していると、さまざまな人がこの店にはいる。
老婦人のグループ、スーツを着てパソコン作業をしてる人、買い物帰りの女性や、散歩の途中に立ち寄ったと思われる老人まで。
馴染みの客もいるようで、慣れた様子で先程の男性に、いつもの席は空いているか、と聞いている。
注文したブレンドコーヒーとシフォンケーキがきた。
初めて入るコーヒー専門店に来たときは、ブレンドを頼むようにしている。
お店の特徴が一番出ているものだと以前、本で読んだことがあるからだ。
最初の一口。
少しだけ酸味を感じるが、バランスのとれた味だ。
時間が経つにつれ冷めても美味しいコーヒーだと分かり、最後の一滴まで美味しく飲んでもらおうという店の気づかいを感じる。
シフォンケーキはチョコレートソースで細い線が何本も描かれ、スライスアーモンドが散りばめられている。
何故か昭和の料理本から出てきたような、懐かしさを感じる盛り付けだ。
普通のスポンジケーキがあって、それに空気感を増したような食感。
フワフワしただけではない、量感もあるシフォンケーキだ。
チョコレートソースもさることながら、スライスアーモンドが味と食感のアクセントになっている。
「普通にすごく美味しい」。
普通に美味しいとはどうゆうことだろうか。
「そうだ、この味」とうなづけること。
きっとこのお店では何を頼んでも、やたらに期待以上のものも、期待以下のものも出てこないだろう。
「普通」を愚直にまっとうしているのだ。
すると店に入ってからのことが、直線上につながった。
店主と思われる男性の清潔感あるいでたちや立ち振る舞い、店に集うさまざまな客、冷めても美味しいコーヒーやシフォンケーキ。
その直線の終点は私の左側にある壁に掛かる、ノーマン・ロックウェルのポスターだ。
ロックウェルは画家かイラストレーターかと評価が分かれる作家の一人だが、人が織りなす日常の一コマを、温かい目線を持って描いた「画家」だと私は思っている。
見た人が誰でも何が描いてあり、画家が何を表現したかったのかが分かる作品。
なんと都合よく、この店の壁に掛かっていることか。
店主らしきあの男性が選んだ、演出だろうか。
今日も、明日も、明後日も、
同じように姿勢よく、入り口を向いて立つ男性とロックウェルのポスターは店の象徴であり続ける。
慣れ合い過ぎない安心感と、
知りうる感覚に収まる刺激。
普通の至福がここには、ある。
牧野真理子 (まきの・まりこ)
趣味からライフワークへとなった美術館巡り。30年間でのべ1,800展の展覧会を見に行き、現在も進行中。好きな美術館は上原美術館(静岡県下田市)です。