祈り 藤原新也展 世田谷美術館 「メメント・モリ」から「メメント・ヴィータ」へのシフトを見る

巡回展も含め、2023年1月29日で
会期は終了している展覧会です。

懐かしい写真から、コロナ禍に撮影した
最近の写真まで展示してありました。

藤原さんの50年間の活動の集大成。

「メメント・モリ」から
「メメント・ヴィータ」への
シフトが見られる節目の展覧会だと
強く感じました。

藤原作品との出会い

私が藤原新也さんの作品と初めて出会ったのは、
「東京漂流」という本を、職場の同僚から
貸してもらったのがきっかけです。

もう30年前位になりますね。

さまざまな社会問題や
事件などを取り上げて、

それを写真と文章で綴っている
非常に面白く感じたことを
覚えています。

その中で1番衝撃的だった写真が、
今回の展示会にもありました。

インドの道端での風景。

人間の水死体が野犬に
食べられているところです。

祈り 藤原新也

写真を見ただけですと、

ただただ衝撃とか、
不快な感情とか
恐怖などを感じただけで
終わってしまったかもしれません。

私の感覚や意図でしか
作品を見られないからです。

藤原さんの場合、
とても強いなと思うのが、

キャプションがご自身の言葉で
書かれていること。

言葉と写真がセットになって
作品になっており、

言葉はおのずとキャプションと
なるのです。

ご自身で書かれるので、
作家の意図が鑑賞者に伝わります。

ちなみにこの作品のキャプションは
「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」。

祈り 藤原新也

藤原さんは、この光景を目にしたときに
死に対する思いが軽くなった感覚を
持ったそうです。

私だけの感覚で見ていたら、
到達できない境地です。

写真と言葉で世界観を表現する

前項でも描きましたが、
藤原さんの作品のとても良いところは
写真+言葉で作品になっていることでしょう。

祈り 藤原新也

写真だけですと、どうしても
鑑賞者の価値観や感覚でしか
見ることができないのですが、

藤原さんご自身が書かれた、
キャプションに該当する言葉があることによって
作品の理解が非常に深まります。

祈り 藤原新也

現役作家の展覧会の醍醐味の1つです。

ご自身で自分の作品を
言語化するということです。

メメント・モリからメメント・ヴィータへ

藤原さんの代表的な著書の1つに
「メメントモリ」と言う本があります。

私は読んでいないのですが、
「死を想え」と日本語では訳されています。

藤原さんの作品のキーワードといっても
いいようなこのメ「メント・モリ」ですが、

今回の展示では「メメント・ヴィータ」
という言葉を、初めて聞きました。

これは「メメント・モリ」と
対をなすような言葉で、
「生を想え」と訳されています。

祈り 藤原新也

親しくしていた瀬戸内寂聴さんの死、
旅先での文化による死生観の違い、

そういったことから藤原さんが
感じ取ることが、

死という側面から、
生きるという側面へと、
シフトしていったような感じを
受けました。

年齢や経験を重ねたからこその
シフトでしょうか。

絵描きとしての意外な画風

藤原さんの肩書を一言で言うのは
非常に難しいと思います。

私は「東京漂流」と言う本から入ったので
ずっと書く方の作家かと思っていました。

写真も撮る作家ということです。

ですが1つの肩書に収めることができない、
それすらあまり意味のないことなのだと
思うようになります。

写真家であり文章も書き、
旅人であり表現者である、

そしてもう一つ今回展示の中で
一番私が新鮮な目で見ることができたのが
画家としての藤原さんです。

てっきり独学で現在のスタイルを
築きあげられた方だと思っていましたが、

東京藝術大学の絵画科油科専攻で、
絵描きでもあったのです。

祈り 藤原新也

展示されている作品はとても可愛らしく、
ファンタジックで、
絵本の挿絵になってもいいような、
とても柔らかい雰囲気を感じます。

写真や文章から受ける
強いインパクトのある世界とは、
かなり違ったものに見えます。

作品だけでなく人間としても、
多彩な方なのだろうと思います。

***

写真からも多くを感じましたが、
言葉からも何かたくさん貰った
展覧会でした。

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