美術展の不都合な真実【感想】一般鑑賞者に戻ってからの著者の目線に共感する一冊

この本の初版は2020年5月に出版。

多くの美術館がコロナ禍で閉館していたという絶妙なタイミングと、

著者が「不都合な真実」を作り出す側の方だったというのが、本に興味を持つきっかけでした。

もくじ

  • 不都合は本当に「不都合」なのか
  • これからの美術館への期待
  • 私が思う「素人鑑賞者」の力

美術館の不都合な真実

不都合は本当に「不都合」なのか

ブロックバスター型と呼ばれる、大量の観客を動員するタイプの展覧会。

新聞社やテレビ局などのマスコミが主催するもので、

近年、公立私立を問わず都市部を中心とした美術館で開催されていました。

「いました」と過去形にしたのは、

「不都合」を作り出しているブロックバスター型の展覧会が、

図らずもコロナ禍で、当分開催が難しくなるのと見込まれるからです。

著者は、国際交流基金から朝日新聞社の文化部で展覧会の企画に携わる側に立っており、

本書の内容からみれば、「不都合」を作り出したり、それに加担したりする側。

とすると、以前仕事をした仲間からクレームがきそうな、業界の内側を暴露する本書の内容ですが、

その根底には一般の鑑賞者に、

より適切に展覧会を楽しんで欲しい

という願いがあるのです。

不都合な真実があるということを知り、それに振り回されずに、自分の知性と感性で美術を楽しもうじゃないか。

そんなメッセージを感じます。

「不都合」がキーワードでもある本書ですが、誰にとって不都合なのか。

このタイプの展覧会が盛んに行われること自体、

利益や好都合が重なって、成り立っていると考えられます。

私のように美術が好きな鑑賞者は、

海外に行かずして、各国の権威ある美術館の作品が見られたり、

例えばフェルメールのように、現存する作品が少ない画家の個展では、

世界中の美術館やコレクターから、作品を貸していただき

一箇所でまとめて見ることができるという利点があります。

鑑賞者も含めて、関係する誰にとっても「不都合」というほど、否定的な面は見えてきません。

これからの美術館への期待

ところが、

ブロックバスター型の展覧会に集客や、企画など頼り続けていると、

思わぬ「不都合」が生じてきます。

本書に書かれていることと、私見と重なる部分もありましたので、取り混ぜて書いてしまいますが、

3つ箇条書きにしてみました。

  • 集客が見込まれる企画ばかりに偏る
  • 集客が見込まれる都市部の美術だけに恩恵がある
  • 美術館らしさが育たたくなる

展覧会や作品自体、関わりのある団体や個人、どこをとっても責任の所在は分からないし、悪い訳ではないのです。

時間を経て「不都合」が発生して、広がっているような気がします。

意図的に発生するものではないゆえに、分かりにくく、気がつけば美術館がただの展覧会の貸し会場になっていた、なんてことになりかねません。

このような事態に巻き込まれないためには、美術館らしさが必須になると思います。

美術館がどんな収蔵方針で、どんな作品を収集しているのか。

学芸員や館長のオリジナリティを出した、展覧会や美術館作りをする必要があるでしょう。

集客しにくい地方や郊外など、行きにくい場所に美術館を作った行政の責任は重い、という指摘も本書にありますが、

作ってしまったものは仕方がない。

魅力ある美術館にしていき、活用していくしかありません。

これからの美術館作りという点においては、

2018年5月に政府案として発表された、
リーディングミュージアム(先進美術館)構想に関連させた提案を、本書でもしています。

その一つが、収蔵品をまとめるという考え方。

現在ある各美術館の特色を活かして、印象派の誰それの作品は〇〇美術館に集約、みたいなイメージでしょうか。

国内美術館の収蔵品の整理をして、効率的に活用できるようにするのが主旨と思われ、

まとめるなんて面白い提案だと思います。

しかし裏を返せば、小さな美術館が大きな美術館に統合されていく可能性もある、

結構過激な話にも聞こえます。

経営統合し、合併を重ねていった銀行みたいな感じですね。

持続可能な社会(SDG’s)と同じように、持続可能な美術館とはなんぞや?

を、考える段階になっているのでしょう。

私が思う「素人鑑賞者」の力

著者の古賀さんは、展覧会の企画者の立場から離れて、より展覧会を見るようになったし、

業界から離れたがゆえに、率直な疑問や要望も多くなったと言われています。

素人の世界から美術に接することによって、気づきを持つことができたように見えます。

私は、美術において素人という立場はとても贅沢な状態だと思っています。

専門的な知識がない代わりに、その知識に縛られることなく、自由に作品と向きあうことができるからです。

見た感想や感じたことが、美術史的に間違っていても、

専門的な立場からみたら、取るに足らない的外れな意見であったとしてもです。

美術館という文化は、ヨーロッパから明治維新の頃に入ってきたもので、

数千年の日本の歴史の中で見れば、150年余りしか経っていません。

欧米の美術館と同じにはなれない、ならないかもしれないけれど、なる必要があるのか?

という問いかけと共に、

日本式の美術館、そして美術のあり方を、考えてみてもいいのかもしれません。

新聞社での企画者の立場、そして素人の立場、

両方を知る著者の古賀さんの目線で書かれた本書は、私見と重なる部分もあった為、

共感できる箇所が多い一冊でした。