静物画から考える「生きていない」と「死んでいる」の違い

「このセミ、生きてないよ」

と子供が話していました。

「セミが死んでる」と言わないで

「セミが生きてない」って言うのか。

ふと耳に入った会話から

「生きていない」と「死んでいる」の違いを

静物画を通して考えてみました。

日本語で「静物画」と言われている絵画は、

英語:Still life (静止していて動かない実体)

仏語:Nature morte(死せる自然)

と言うそうです。

英語と、フラン譜で受ける印象が
違うように思います。

日本語の静物画は英語のStill lifeと
感覚が近い感じ。

冒頭に書きました子供の会話に当てはめると
「このセミ、生きてないよ」は
日本語の静物画・英語のStill lifeの感じ。

「セミが死んでいる」と言うと
仏語のNature morteに寄っているように
私は感じます。

「生きてない」は、生きている世界の
延長線上にまだある感じ。

哺乳類であるならば、まだ体温が
少し感じれられるような状態です。

かたや、「死んでいる」は、
完全に動きが止まっていて
死後の世界にいっている感じ。

三途の川を渡って、あちら側の世界へ
行ってしまったように感じます。

あくまでも私個人の感覚なので
このあたりは人それぞれでしょう。

オレンジのある静物/
ジョルジュ・ルオー/
個人蔵(ルオー財団協力)

こうみてみると、日本語の
「静物画」という言葉は、

ニュートラルな感覚で、
「静物」を描いた「絵」を
的確に表す良い言い方だなと思います。

個人的には静物画を
Nature morte(死せる自然)を呼ぶ
仏語の感覚は、
ちょっと強すぎると思っていますが、

西洋画における静物画のジャンルである
Vanitas(ヴァニタス)に
その理由がありそうです。

人生の虚しさや
生きることの儚さを意味する言葉で
旧約聖書からきている言葉です。

モチーフとしては、
消えかかったロウソク、
腐りかけた果物
砂時計、ドクロなどで、

それらが描かれた静物画が
ヴァニタスとなります。

キリスト教における死生観が、
静物画に反映されているようです。

バラ/藤田嗣治/ユニマットグループ

「りんご」一つが描かれた静物画であっても
その人の持つ文化的な背景、
使用している言語によって

「生きていない」のか
「死んでいる」のか
捉え方は変わるのかもしれません。

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